2010年4月29日木曜日

りんごのおせっかい

あるちょっとしたことでMacMiniをかったのだけど
このWindowsで使っていた神経をぞりぞりとずらすような感覚がなんともイタダケナイ。
まず強烈にきたのはマウスだ。
勝手に加速度がかかるのである。(標準の設定をアレコレいじっても)
シェアソフトで試用期間を続けられるソフトでそこら辺が直るという話だったのだが
どうしてもほんのちょびっとの加速が抜けない。
Diablo2やWowなどのゲームソフトをいれてためしにやってみると
今度は日本語入力がイタダケナイ。
Wowで変換確定がそのまま発言になるのだ。
発言が意図せず細切れになったり、長文が妙な変換で意味不明になったりする。
ゴーシ語の原因はコレか!
と、妙になっとく。

そうやってしばらく使うと段々と設計思想の”違い”というものが見えてきた。
Windows機は言うなれば装備である。
手足の延長となり、人間の意識の範囲を電子の世界まで広げるディバイスだ。
一方のMacは召使いとみれる。
機械に命令する内容をいったん考えてから、少ない入力で多くの仕事をさせようとするロボットを目指している感じだ。
この違い、ゲームなどで咄嗟の反応が必要になるとよくわかる。
Windows機では入力の向こう側に思考がある感じで動かしながら動く事が容易だ。
その感覚のままMacをさわると入力にかなり大幅な修飾があるためにかなり戸惑うことになる。
どっちが優れているという話ではないのだが……
やっぱりやりにくい。

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